2014年7月7日月曜日

Les petits rats 6


ある年の発表会楽屋風景。舞台メイクは、中学1年生になったら自分で行うよう指導を受ける。それまでは、教室の講師陣が子どもたちの顔をひたすら「描き、造る」。なかなかスゴイ顔になるのだが、舞台に立つとそれほどコテコテに描いているようには見えないから不思議だ。ただし、子どもたちはそれぞれぐっとその母親の顔に近づいて見える。「そっくりやね」と、母親たちはお互いを慰めるでも納得させるでもない、なんだか中途半端な共感と連帯感を覚えるのであった(笑)。

1枚めの写真で娘のメイクをしてくれている講師は、バレエ学校を卒業後すぐ当教室でレッスンを受けながら指導助手を務め、バレエ教師としての経験を積んできた人だ。緩急を使い分け、子どもたちをよく笑わせ、叱るときはびしっと容赦ない。教師としてもダンサーとしても一貫した考えを持っていて、それは学園長である自分の恩師と食い違うことも時にはあったようだが、意見は意見として述べても師の影はけっして踏まない人だった。だから学園長も彼女を重宝し、可愛がった。もちろん、生徒にも慕われた。
娘もこの講師が大好きだった。いつか、娘を評して「すごく、わかってくれるんですよ。私の指摘したことの真意とか、私の言いかたがマズくて伝わらないんじゃないかと思ったときも、ちゃんと意図を読み取って、理解してくれる。そして次に動いたときにはその結果をすぐ出してくれます」と言ってくれた。いいことばかりを過大に述べられたとしても、親は嬉しい。娘に伝えると「先生も、ウチが訊きたいこと、全部言わんでもわかってくれはる。どう動いたらいいか、今の動きのなにが悪いんか、訊きたいけどうまく言葉を組み立てられへん時あるねん。でもみなまでいわんでもわかってくれはって、教えてくれはる」という。なるほど、キミタチ、以心伝心。相思相愛(笑)。

娘は出発前、この講師の舞台を最後に見て涙が止まらなかったと言った。ほかの先生との別れは辛くないけど……。講師は離島の出身で、昨年度限りで教室を退職し、故郷で自分のバレエ教室を開業する運びとなったのだった。昨秋、その計画を公にする前に、日本を離れるうちの娘にはこっそり告げて、「もうこの教室では教えていないけど、たまには戻って先生たちに顔を見せたげてね。そして私の教室も覗きにきて」

結婚や出産、あるいは新天地を求めて去っていった先生たち。みんな若く美しい女性たちだ。その20代、30代の輝きを増すばかりの時間を躾のなってないワガママな子どもたちを教えることに費やし、時には親たちの苦情や陳情(?)にも対応し、人生何事も経験とはいえ並大抵ではなかったことだろう。去っていかれた先生たちも、今も教え続ける先生たちも、それぞれが幸せであってほしいと思わずにいられない。講師たちの振る舞いや生きかた、踊りに向かう姿勢はそっくりそのまま子どもたちにとって最も身近な手本であり、事例集でもある。感化されやすいうちの娘などは幾度も「○○先生みたいになる」と誓いを立てた。ある重要なタイミングでドンピシャなアドバイスや叱咤を受けると、いつまでも心に残る。故郷へ戻った講師は、幾つもの至言を娘に残したという。ただ娘がいうには、それほど重要な言葉を相手に向かって投げたとは「たぶん意識したはらへん」そうだ。

効果的な指導とは得てしてそんなものかもしれない。大上段に構えて「どうだこれから大事なことを教えてやるぞ、よく聞けよ」みたいな物言いで臨むと弟子は逃げる。というより、そんなものは師弟関係ではない。師であり弟子であるというのは、お互いに腹を探っているとでもいおうか、そのココロは、その真意はと、お腹の裏側を読み取ろう、その言葉の行間を吸収しようと、ある一定の距離を保ったまま、互いを信じることである。多分に弟子のほうが一方的な片思いであるけれども、自分を信じる弟子に師は応えようとするものである。弟子にとって師の言葉は、それが戯れ言やオヤジギャグでも信じられる。ヒントになる。そして自身に反映できたとき、弟子であることを実感できる。

バレエなど身体系のお稽古事では、小学生のうちはこうした「師弟関係」がごくごくシンプル&ピュアに形成されている。だから子どもたちは素直にすくすく伸びていくのである。講師の優劣よりも、どちらかというと子どもたちの素直さ、伸びしろの大きさがものをいう。一心に打ち込み、先生みたいになりたいとわかりやすい夢を描くことが、最大の糧なのだ。

願わくば、場所が変わっても、自分にとって最良の師といえる人と再び出会い、師から可能な限り吸収して成長の糧にしてほしいもんだ。

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