2014年12月31日水曜日

Imagines!

「彼女は暇を持て余すのが苦手である」という文は日本語として成立するのか。いや、成り立たないな。「持て余す」という言葉が「処置に困る」という意味だ。ではどう表現したらよいだろう。
「暇を持て余す」=「空いた時間の処置に困る」ならば、「処置に困り果ててどうしたらよいかまったくもってわからない状態が続いている」ようなことを「持て余す」という語を使ってもう少しするっと表現できないか。
「彼女は暇を持て余し過ぎる」……言葉足らずなティーンエイジャーみたいだ。
「彼女はひどく暇を持て余している」……正確なんだけど、うーん。いまひとつ「どうしたらよいかわからない」感に欠ける。
「彼女は暇を持て余すことに慣れていない」……お。これ、いいんじゃないか? 


中高生時代、娘は分刻みで毎日のタイムスケジュールを自己管理していた。部活朝練、学校、部活放課後、お稽古、夜の自主トレ。その合間に食事と間食。定期テストがあるときは放課後の部活の代わりに試験勉強が入る。いつも時間割りをつくって、時刻の目盛りに沿って線を引いて区切り、「英語暗誦」「朝ごはん」「プリント見直し」「バレエ」「ランニング」「腹筋」などの項目を書き込む。そしてほぼ正確に計画したとおりに行動する。我が娘ながら見事なもんであった。もちろんうまくいかないときもある。何かに思いがけず時間を取られたときは、そのぶんをどこかで取り戻し帳尻を合わせた。とくにバレエのレッスンや自主トレの部分で時間の配分が狂ったときは必ず調整した。いっぽう、勉強の予定が狂ってメニューをこなせないことがあっても、それには執着せず放置した。……このあたりがポイントだったな。ま、ともかく、現代の子どもたちは忙しすぎると言われて久しいが、我が娘もご多分に漏れず多忙な子どもだった。

それでも小学生のあいだはめいっぱい校庭や公園で遊ぶのが常だった。
娘が小さい頃は、放課後のグランドは鬼ごっこやボール遊びをする子どもたちが必ずいた。公園に行けば年が上の子も下の子も混じってその時々で手を替え品を替え遊んでいた。つるつるの見事な泥だんごをもって帰ってきたこともあった。友達の振り回したバドミントンのラケットが頭にバシッと当たったこともあった。1年生のとき、玉なし自転車で初めて走れた現場に居合わせてくれたのは、近所の6年生の女の子たちだった。

中学生になると、そんなふうには遊ばなくなった。「遊ぶ」ためには何日も前から周到に用意して時間を確保しなければならなかった。娘が小さい頃は、仕事の休みの日曜日、あてもなく自転車を転がして、どこ行こう? なにしよう? 思いつくまま、鴨川に降りて水に足をつけたり、堀川通沿いの松ぼっくりを拾ったり。図書館で絵本を一緒に読み、飽き足らず抱えきれないほどの絵本と紙芝居を借りて持ち帰って、毎日毎夜読んだ。だが、そんなふうに、母の私と娘の共有できる時間は急速に減ってしまい、それぞれがそれぞれの役割を果たすために時間を使うようになっていった。私と娘はつねにかかわりあってはいるが、一緒に行動する時間といえば朝食ぐらい、という状態だった。今日も晩ご飯、一緒に食べられへんのか、という祖母のつぶやきを彼女はどう聞いていただろうか。食卓をともにすることを無上の喜びとしていた娘が、そのつぶやきに心を痛めないはずはなかった。だからこそ、三人揃っての夕食のチャンスは、絶対に譲らず確保した。稀なことだったが、ともに台所に立ち、食事の支度をすることもあった。しかし、そんなことは稀だった、ほんとうに。「今夜、8時半に帰ってご飯は9時には食べ終えるから、頼むで!」といった調子で毎朝タイムスケジュールを私に告げるのが日課だった。
そうした生活のおかげで、こなさなければならないメニューが盛りだくさんなときほど、娘は難なく消化した。高校に進学するとあれもこれもと生活はさらにタイトになったが、娘はむしろ生き生きと活力を増すばかりだった。一日にどれほどあれこれと詰め込んでもまったく苦痛にならないのだった。

ところがその逆の場合はまったくサマにならない。
暇であることに耐えられない。
寝るしかない。だから寝てばかりいた、たまの何もない休日などは。
本でも読みぃ、というと読んでみるものの、すぐ睡魔に襲われるのが常だった。
暇でいることが苦痛だった。
「暇で、死ぬ」
和室の畳に大の字になって寝転がって、そうつぶやいたことがあった。
贅沢もん。
そうはいうものの、これは実際ほぼビョーキだな。と、私は思っていた。

案の定、留学先では時にこの「暇すぎて死にそう」状態に陥っている。
学校は、休みの日もある。レッスンが午前中で終わるという日もある。ルームメイトが留守のときもある。友達が帰省中のときもある。自分の相手をしてくれる「誰か」も「何か」もないとき、どうしたらいいかわからなくなるのである。

学校が休みのときは、ほかのスタジオのオープンクラスに参加している。
街でウインドーショッピングするのは大好きだ。
美術館や古い城館の多い街だから、見学にもよく行く。
友達から流行りの小説本を借りて読んでいる。
寮にはオーディオルームがあるのでDVD観賞なんぞもよくする。

「でも暇や。1日24時間あるし。ずっと寝てられへんし」(最近の娘のメールより)

そういわれても私は、暇を持て余すような事態に長年陥っていないので、よいアドバイスはない。私の若い頃は暇さえあれば漫画を読み、漫画に飽きたら本を読み、お小遣いのあるときは映画館で名画3本立てを観た。どれもつまらないときは、ひたすら絵を描いていた。そんなことでじゅうぶん、時間をつぶせた。たとえば友達との約束が直前になって流れてしまって予定に思わぬ穴が空いたときなど、たしかにいきなり現れた手持ち無沙汰な空白を持て余すことがある。読みかけの本もない、そそられる映画も芝居もやってない、そんなときは、ぼーっと座り、コーヒーでも飲みながら、想像する。

もし友達と会っていたら。彼が、彼女が着ている服。履いている靴。かけている眼鏡。よく会う人が相手なら想像は乏しくなるが、ひさしぶりだったり、特別な約束だったりすると、逃がした魚は大きい、じゃないけど、やたら想像はたくましくなる。

そんな想像は意味なく虚しい、無駄なものだと笑われるだろうか。私は、そうは思わない。そんなふうにして想像し始めるととめどがない。友達はいつの間にか結婚衣装に身を包みシャガールの絵のように空を飛んだりする。私はいつの間にか友達の肖像画を描く画家になっていたりする。私の個展を観にきたロートレックが、いいモデルを紹介しようといってパリのキャバレーに連れて行ってくれ、艶やかに踊るジャンヌ・アヴリルと知り合い、互いの身の上話に花を咲かせてマブダチになる……。あの時代のモンマルトルにいたら、私は何をどう表現する人間になっていただろうか。ロートレックが大好きだけれど、もし同時代人であっても私は彼を愛しただろうか。早すぎる死に、泣いただろうか。

「お母さんは時間があったらそんなこと考えてんの?」(最近の娘のメールより)

いや、全然考えてない。
我が身を振り返れば、ほんとうに、そんなふうに、何の役にも立ちそうにない想像ごっこに時間を費やすことなど、ずっとずっとやっていない。
だけど私も、上で書いたようなバカな妄想ごっこに耽ったのは、大学時代と、留学時代がいちばん多かったように思う。いちばん多かったというより、ずっとそんな毎日だった。有り余る時間を、本と映画と芝居とライヴと酒に費やしても、まだ時間はいっぱいあった。モンペリエにいたときは、水道橋の上の公園で、陽の落ちるのを待った。その場所では空一面を染めながら沈む夕日を眺めることができた。夕日を見ながら、授業で覚えたフレーズを暗唱したりもした。前夜のタンブールの音を反芻したりもした。そんなふうに時間が過ぎていくほどに、私の心はモンペリエではない別のどこかにあったりした。気がつけば夕焼けは星空に変わっていて、公園を降りてすぐのところにあるカフェが賑わっていた。
珠玉のような、時間だった。
娘は、こんなふうに時間を費やすことを罪なことのように感じるのだろう。それは違うよといっても、すぐにはピンと来ないだろう。慣れていないのだ、時間を持て余すことに。だが持て余す時間のあることは素晴しいことなのだ、ほんとうに。
そのときは、無為にしか感じない、いたずらに過ぎていく時間を捉まえられない自分がただ未熟者に思えて惨めになる。だが、そんな気持ちもひっくるめて、若いときにしか生きることのできない得難い時間であり生であるのだ。大なり小なり、誰にもある。持て余すほどの時間。ハンドリングできない無意味。手応えのない空白。そんなものどもに直面したとき、ただ想像の翼を広げるだけで、無意味は宝石になる。想像しろ。何でもいい。姫になった自分、絵の中で踊る自分、革命の旗手となった自分、メジャーリーグでホームランを打つ自分。すれ違った幸せそうなカップルの心の中。ベンチで寝るホームレスの見る夢。向かいのテーブルでスマホをいじるイケメンの裸のお尻。想像してみろ。想像は想像を呼ぶ。物語は絵巻物になる。

いくつもの架空の絵を頭の中で描くうち、絵は絵に終わらず身体化されて、やがて自分の内からほとばしる表現となって外へ飛び出していく。それを意識化できたときに、もしも舞台人として生きていれば、唯一無二の自分の踊りとして、あるいは振付や演出として、舞台作品としてつくることができるだろう。

暇そうやな。
想像しろ!

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