2014年4月18日金曜日

Les petits rats 4



「くるみ割り人形」の第2幕、「お菓子の国」の場面はディヴェルティスマンで、金平糖のパ・ドゥ・ドゥの前にある華やかな「花のワルツ」は2幕の大きな見せ場のひとつである。いろいろなヴァージョンがあるが、多くの場合、「花の女王」と男性ダンサーのメインペアに群舞が取り巻くといったかたちが採られる。娘が通っていた教室でもそのパターンで、花の女王&男性、花の精(小学校高学年〜中学生)、花の精たち(低学年)、小さな花びら(幼児)という構成。「小さな花びら」たちは、舞台の端っこでひらひらしているだけなのだが、「女王」も「精」も舞台袖にいったん引っ込み、「精たち」が静止しているほんの少しの間、真ん中のポジションをいただいてステップを踏ませてもらえる(写真はそのシーン)。真ん中で照明が当たるのはこの瞬間だけだ。「花びら」の親やジイジバアバたちは目をいっぱいに開いて舞台上の我が子我が孫を凝視したことだろう。私も、もちろんそうだ。20人以上いた「花びら」の中の、自分の娘しか見ていない。振り付けを間違ったりしないでねと祈りながら、チュチュに縫いつけた花びら飾りが外れたりしないかハラハラしながら、神様からの贈り物にも等しい至福の数秒間を堪能する。

保護者の中には自身がバレエ経験者もいるし、バレエ鑑賞が若い頃からの趣味で目が肥えている人もいる。しかし、たいていは素人だ。ほかの子どもと我が子とを比べて上手いのかヘタなのかは判然としない。大きなお姉さんたちが輝くばかりに美しくて技術的にも優れているように見える。舞台芸術の何たるかも知らない。そうした意味で幼児クラスの保護者の会話は無邪気で他愛ないといえるし、お世辞の応酬ともいえるし、一般論に過ぎるともいえる。けっきょくのところは本音が出ない、あるいは出せない、ということに尽きる。
アンタの洟垂れ娘がちっとも振りを覚えないから練習が進まないじゃないの、なんてことは口が裂けてもいえない(って、どの世界でもこんなこと言ってはいけませんけどね。笑)。本番の舞台で隣に踊ってた子が間違ったり転んだりしたのを舌打ちしたり(どの世界でもこんなはしたないことはダメですけどね。笑)、誰かさんが失敗しなかったらもっとよかったのにねえなんてほかの親と声高にしゃべったり(どんな世界でもしてはいけない振る舞いですけどね。笑)できないといったことが続き、その代わりに「難しい振り付けだからお稽古するのたいへんよね」「みんな上手に踊れてよかったわね」「コケたのもご愛嬌よね」ほほほほほほ〜なんて会話を上滑りさせるばかりだと、大なり小なりフラストレーションがたまる。あるいは、みんなそのようなことは日常の些細なこととして消化していたのだろうか。少なくとも私は、ああこの会話の中には居られない……と逃亡したい気持ちに駆られることしばしばであった。

親たちの心配やイラつきをよそに、子どもたちは飛び跳ね、脚を上げ、腕をひらつかせながら大きくなっていく。
初めての子育てでは、幼児期までがとても長く感じられる。手のかかることが続く間は、我が子が小学生、中学生と成長していくことに想像が及ばない。私には、一緒に舞台に立った多くの子どもたちがとてつもなく眩しく見えていた。背の高さ、ポワントで立つというテクニック、舞台メイクの映える顔だち。指導のたまものとはいえ、振り付けられたとおりに踊り、列を乱さずにステージワークをこなす。裏方さんに挨拶をし、楽屋利用のルールを守る。この子たちは、ほんの数年、ウチの子より年が上だというだけなのに、なぜにこのように大人っぽいのだろう。ウチの子はほんとうにこの先輩キッズのように、規律正しく、お行儀よく振る舞えるようになるのか(いや、そう育てるのが親の仕事なんだが)。
娘が「花びら」を踊った舞台で「花の女王」を踊ったKちゃんは中学2年生だった。私には、彼女が「19歳の専門学校生」または「21歳の短大卒OL」に見えて仕方がなかった(なぜかこのふたとおり。笑)が、衣装をとり、レッスン着から着替えて私服に戻った彼女はたしかにあどけない中学生だった。
その後、二度主役を踊ったKちゃんは、自分のバレエ教室をとても愛しており、レッスンから退き社会人となった今でも発表会には裏方として手伝いに来てくれる。中3、高3の受験期にも、レッスンと出演は休んでも裏方には来ていたから、さまざまなことをよく心得ている。彼女の気働きと俊敏な動きがあるので舞台裏の準備はスムーズに流れるといっても過言ではない。おそらくはお勤め先でもとてもよく仕事ができ重宝されているのだろうなと想像がつく。

「花のワルツ」でリハーサルをともにしてからずっと、娘はKちゃんを慕い、Kちゃんはとても娘を可愛がってくれた。バレエを習ったからといって誰もがダンサーになるわけではない。しかし、幼い頃に幾つも年の離れた者どうしで一緒に何かを創りあげる経験ができるというのは、得難いことであり、必ず大人になってから活きることだろう。
娘はまだ修業中だが、何が生活の糧になろうとも、バレエのお稽古での経験は必ず活きることだろう。

(と、自分に言い聞かせるわたくし。笑)

2014年4月15日火曜日

Les petits rats 3


娘が通っていたバレエ教室の場合だが、「おさらい会」としてひとりひとりが習ったこと身につけたことを披露する場としての「秋のバレエコンサート」と、一年に一度の「定期学校公演」と位置づけられ、チャイコフスキーの三大バレエ作品を全幕公演する「春の発表会」、と年に2回の発表会があった。あとからわかったことだが、小規模な教室では2〜3年に一度のペースでしか行われないことが多い発表会を年に2回も実施するというのは、バレエ教室としての経営体力や催事の組織力というものがなくては不可能だ。教室長である先生はパリのオペラ座でも踊ったことのある地元では有名なバレリーナだ。そうした実績に加えて長年培った人脈のおかげで、「先生のご依頼なら喜んで」とひと肌脱ぐ人がたくさんいるのだ。会場やスタッフにかかる費用は莫大だ。それを、単に費用の問題と考えると舞台は失敗する。高い月謝をとり、臨時会費を集めて十分にまかなえたとしても、照明・音響・美術スタッフと阿吽の呼吸が成立しなければ、バレエに限らず、舞台の成功は遠のく。私は舞台といえばただ観劇するばかりで、開催する側にいたことはないので、娘のバレエのお稽古を通じて舞台発表の面白さを十分すぎるほど楽しませてもらった。愉快なことばかりではなかったが、ただ鑑賞するだけではけっして理解できなかった多くのことを知り、貴重な体験であった。

(と、今でこそ「貴重な経験であった」なんて訳知り顔でいえるのだが、当時はそんな余裕などまったくなかった。理由はいろいろあるけど。笑)

幼児クラスは、娘が所属しているクラス以外にも曜日違いでたくさんあり、当時、総勢50人は超えていたと思う。娘のクラスは20人くらいだっただろうか。
全幕バレエの中でたいして踊れないチビっ子たちを、それなりのシーンでそれなりに踊らせなくてはならないのだから、教師の苦労は延々と続く。配役、ポジション決め、振り付け、指導、ほかの生徒たちと合わせて全体として完成させる。想像しただけで目眩がしそうだが、わずかな期間にもかかわらず、子どもたちは振りをなんとか覚えるのだからたいしたものだ。
大きいお姉さん(お兄さんもいる)たちの、まばゆいばかりのお姫様の衣装、怪しげな黒い衣装、摩訶不思議な妖精の衣装を羨望の眼差しで見上げる。その足許でちょろちょろさせてもらえることの「名誉」は理解しないけれど(親も)、ほんとうに踊るのが好きな子は、幼くても「踊り」そのものを楽しみ、役を「演じる」ことができ、「舞台づくり」にとけ込んでいる。幼児クラスの子どもにとっては、日頃のレッスンから発表会前の振り付け、リハーサル、そして本番までつねに「団体行動」だ。その団体行動を、幼稚園や保育園の遠足や運動会とさほど変わりないものととらえ、先生に引率されて行うという意味で同じレベルで認識している子どもは、踊れないし、演じられない。心がそこにないからだ。手足が長くて柔軟な体をもつ子でも、関心がないと、けっして踊れないのだ。

文字どおり「ねずみ」の役で舞台の上を走り回った、初めての全幕作品。小さいなりに、物語を理解し、役どころ(=ねずみ)を自覚しようと懸命だった娘。ねずみはクララにたかって意地悪をし、助けを求めるクララを救いにくるみ割り人形が現れ、兵隊人形とねずみたちのバトルが展開される……。物語の火付けとなる重要な場面だっ(笑)。

主役のクララや金平糖の精を踊った女の子たちは当時高校生だったが、今は素敵な母親になっている。13年経ったのだ。

2014年4月10日木曜日

Donc... Tout est toujours question d'argent.

娘の留学を斡旋してくれたエージェンシーから次年度分の請求書が届いた。
通販会社の「お買い上げ明細書兼領収証」みたいなノリでさらっと記載されているけど、2通あって、合計金額は100万円を超える。その支払い期限がそれぞれ三日後と十日後(笑)。

だいたい、来年も留学を続けるとはまだ言ってないだろっ(やめるとも言ってないけど)、初年度もこの調子でぽんぽんぽんっと数百万円を払わされたのにさ(そのときだって人に助けてもらいながら必死で切り抜けたんだ)、けっきょく過剰に支払ったんだよね、それで精算してくれって言ったら「次年度に回します」。次年度の支払いの時期に充当し、その残金を請求すると言ってたわよね。だったら先にその金額を知らせなさいよっ。

……なんてことを言い募る度胸は持ち合わせていない(笑)ので、丁寧に、きちんと、頭のよくない相手にもわかるように明瞭な日本語で、こちらの言い分と、すぐには支払わない理由を書いて送った。

そしたら「A案件は今週中に決めてください」「B案件は今月中に決めてください」「いずれにしろ速やかに事前にお支払いください」。もちろんそれぞれの前後にたくさん尾ひれ背びれがついているのだが、すごい商売してるよなと思う。今はとくにユーロ高が激しいので、非常に損をする気分になる。ユーロ高はエージェンシーのせいじゃないし、彼らのビジネスにも影響しているだろうから金額が不当に高く感じられてもそこは斟酌しないといけない。そりゃわかってる。でも、でもさ、子どもを心配する親の心境につけ込んで、払わないならもうお世話しませんよと言わんばかりの態度がとっても気に入らない。

そうした印象を与えないように美しくお金を請求する文章の書きかたってあるのよ。気持ちよく払いましょうと思えるような書きかたが。

マニュアルがあるのか、それとも担当者の人間性が出ているのかどうか知らないが、こういうのこそ「個別対応」してもらいたい。お金なんか掃いて捨てるほどあるという裕福な家庭もあるだろうし、ウチのようにかき集めても搾りきっても足りないという家庭もあるのだ。保護者の「お金を遣う」ことに対するメンタリティは当然みな異なる。
私のように、屁理屈こねくり倒し、どういう使途でこの金額になるのか尋ねたり、安くしてくれないのとすっとぼけた問い合わせをしたり、挙句の果てには期限までには全然払わないといった保護者が「了解いたしました。できるだけ早くお支払い申し上げます。にっこり」と素直に対応するにはどう請求すればいいか、長いことこの商売やってんなら学習しておけよ、と言いたい。


と、いろいろあるけど、けっきょくは、なんでもかんでも、お金の問題。お金があるか、ないかの問題。そんな問題、おとといきやがれ、こんちくしょうめ。

母ちゃんは君が無事に自立するまで、頑張るからな。

2014年4月8日火曜日

Les petits rats 2



5歳になった4月からバレエ教室に通い始めた娘だったが、教室の幼児クラスにはすでに多くの「先輩」がいた。
幼児クラスはいちおう3・4・5歳が対象だった。しかし、娘が入った当時は、「オムツが外れていて、トイレに行きたい意思表示ができる」ならば2歳児も受け入れていた。そんなわけで、幼児クラスの「クラスメート」の中には3歳未満のときから始めて通い続けている、すでに「バレエ歴2年以上」の5歳児もいた。しかし、こういってはなんだが、早く始めているからといってその子たちがことさらに上手かといえば全然そんなことはなく、ただ、先生とすでに仲良しで、先生がこう言ったらこれをやる、といったことをすでに心得ている程度の差の分、前にいるだけだった。ああよかった、5歳で始めても遅すぎることはなかったな、と内心ほっとした。

ウチの娘より3か月ほど遅れて2歳半の女児が入ってきたが、母親は「実はオムツまだ取れてへんねんけど」ときまり悪そうにこっそり私に耳打ちした。「そうなん? 先生、なにも言わはらへんかった?」「もう取れてますって言うたもん」「え? でもあのお尻、バレバレやで」
その2歳半女児のレオタード姿は、はっきり紙オムツつけてます、とわかるほどにお尻が丸く膨らんでいた。

トイレトレーニングが終わっているかどうかは、レッスン着の問題ではなく、子どもの自立心の問題である。おしっこしたい、うんちが出そう、だからトイレに行きたい、だから「お母さん、トイレ行く」と服を引っぱる、「せんせい、トイレ行きたいです」と手を挙げる、という意思表示をするようになる。このことと、なにがしかの訓練を受け始める時期とは大いにかかわりがあるだろう。

オムツの外れていない2歳半の子が混じったスタジオは、その子がいなかった時期に比べると、かなり稚拙化して見えた。レッスン風景というよりも、なんだか「保育現場」に近かった。いや、もちろん、その2歳半の子がいなくても、幼児クラスではたいしたことはしないし、保育園のリトミック遊びの時間とそう変わらない雰囲気であるのは事実だった。だが、2歳と3歳の差って歴然としているな、とは実感した。娘の通っていた保育園では2歳までは赤ちゃん扱いで、3歳になると「幼児デビュー」し、日課などががらりと変わる。2歳までにオムツ外しは完璧なまでに終了される。バレエ教室の仲間たちはみんな幼稚園児だったが、3歳未満で始めた子もオムツが外れてから来たというし、当時3歳で来ていた子も、その2歳半女児に比べたらものすごく大人びて見えた。
その母親は、レッスンを見ながら待つ間、「や—ん、ウチの子、皆さんのペース乱してるんかも〜」とたいしたことでもないような口ぶりで「ごめんなさーい」などという。居合わせたほかの母親たちは皆作り笑いをしながら、おそらく内心かなりイラついていた(笑)。バレエのお稽古代は安くない。ウチは週1回しか通わせていなかったが、週2回来ている子も多かった。貴重な1時間のレッスンを、貴重な教師の時間を、赤子をあやしたりご機嫌とりするのに使われるのはまっぴらだ、と誰でも思う。

2歳半女児の母親は、数週間経て場の雰囲気に慣れてくると、年長児の母親たちにお受験情報を尋ねたり、あるいは幼稚園選びの顛末を嬉しそうに披露したりした。誰も彼女と話したがらなかったようだが、強引に話しかけて相手をさせる。私は、自分が連れてきた日でもレッスン中ずっと待っているということをあまりしなかったし、迎えに来れても終了ぎりぎりだったりであまりほかの母親たちと時間を共有しなかった。それゆえに、たまにずっと居ると必ずこの母親の餌食に(笑)なった。
母親がどんな人であれ、その子どもがもしバレエのレッスンが楽しくて、スタジオに入ったとたんに生き生きするとか、レッスン日を楽しみにするとか、そういうふうであればいいのにと思ったが、その2歳半女児はいつ見てもまったく楽しそうではなかった。子どもは正直だから興味を持てばそっちを注視するが、教師の声や身振りにも、音楽にも反応せず、好き勝手にスタジオ内をうろうろしては促されてまた戻るということを繰り返していた。だから私ははっきり言った。「バレエのお稽古、あまり好きとちゃうんちゃう? 無理強い、しいひんほうがいいよ」
すると驚くべき答えが返ってきた。
「だってな、なんかきれいな感じのお稽古してへんかったらかっこ悪いやん」
さらには、
「そっかー、向いてへんかなあ。ピアノに変えよかなあ」
最初からこいつ変な女、と思っていたが、さすがに、もう視界から消えてくれと念じたものだ。
この親子は年度終わりの春の発表会を前に姿が見えなくなった。母親たちは私も含め、一様にほっとした。たぶん、子どもたちもほっとしていたと思う。ウチの娘は自分も新米だから最初の頃は何も言わなかったが、初舞台を経て、本格的にお稽古が楽しくなってくると、ちっちゃな困ったちゃんにレッスンを邪魔されたくないなとは思ったであろう。でも、少なくとも、レッスンの場でその子のことを悪く言ったり、嫌悪の視線を投げたりといったことを、クラスの子どもたちは誰ひとり、しなかった(と思う)。小さいながらに、就学前の幼い心で、ここは芸事の鍛錬の場であり、自分たちは先生から教わっているのであり、その言葉、動きはすべて真似るべきお手本なのだということを深く感じていたのであろう。スタジオ内の空気をいっぱい吸い込んで、少しでも上手になりたいという強い気持ちを、程度の差はあってもどの子も持っていた。その気持ちを持たない子に構う暇などないほどに。

2014年4月6日日曜日

Ce que tu veux t'exprimer

「表現したい! もっと!」
ある日のメールに娘はこう書いてきた。

一日の報告を義務づけているわけではないので、メールが来ない日もある。4〜5行くらいしかないときもある。四六時中やりとりをしようと思えば、こんな便利な時代だからツイッタだのスカイプだの使えばいいんだろうけど、「一緒にいる」ということと、「遠く離れていてひっきりなしに交信する」ということは全然違う。いくら頻繁にやり取りをしていても、一緒にいる状態とは雲泥の差だ(だから遠距離恋愛が成就する確率は高くないのである。……って誰か言いましたっけ?)。それならいっそ、お互いに鎖を外してお互いに放し飼いになったほうがいい。どちらかというと私のほうが娘に見捨てられたくないので(笑)、こちらの生活の様子を記して知らせている。家のこと、おばあちゃんのこと、猫のこと、親戚のこと、町内のこと、学校のこと、京都のこと、日本のこと。天涯孤独でもない限り人間はけっして根無し草にはなれない。どこかに自分の存在理由の根っこがあるわけで、それから目を背けては生きてはいけない。むしろ、いつもその根っこに誇りと確信をもっていれば、凧のように高く高く舞い上がれる。糸の切れた凧ではなくて、糸がいくらでも伸びる凧である。早い話が、どこへ行っても母ちゃんを見捨てないでね、と言いたいのである。そんな願いから、わたしはこまめにメールを送る。すると娘も素直にレッスンの厳しかったこと、できたことできなかったこと、仲間の様子や生活のこと、街の風景を書いてくる。

“学校には自分より上手な人がいっぱいだ。あの子にはできてなぜわたしにはできないのか。できていると思っていたことは実はちっともできていなかった。基礎づくりも、体づくりも、体力づくりもまだまだだ。”

娘のメールからは、はっきりは書かないけれども、時にまるで「んんんがああああああ〜〜〜」と吠えているかのように「爆発したいよおおおっっっ!!!」的な強い「鼻息」(笑)みたいなものを感じることがある。渡航してすぐの頃は、まず周囲を見て現実に打ちひしがれていた。

“学校で教わっているうちに、身体表現は無限であると考えるようになった。身体表現にはあらゆる方法があり、バレエはそのひとつに過ぎない。バレエでは、ある伝統的な定型に基づいて最低限のルールを守りながら踊る。だが「伝統的な定型」のないジャンルももちろんある。伝統的な定型に基づいた振りでしか踊ってこなかったから、定型のない踊りは強烈に新鮮だ。”

娘は「いっぱいいろんな踊りのレッスンあって、面白いし楽しい〜♪」てな感じで書いてくるだけなんだが、その裏にはこれくらいの思いがあるということを汲み取ってやれるのは(というか親バカゆえに過大解釈し過ぎるのは)母親の為せる業であろうぞ。

“その踊りが見応えのあるものとして完成するには、観る者も心得る「定型」がない以上、踊り手の気持ち、心、魂がこもらないとダメだ。自分の体内の核心のまた芯の底から湧いてくる何か、が要る。”

クラシックを踊ることは、伝統的なシナリオの中でその役になりきることであり、定型ゆえの高度なテクニックが求められるが、モダンには「フェッテ36回以上」みたいな申し合わせの類いはいっさいない代わりに、フェッテ36回を超える「精神の表出」が求められる。
「今すっごくモダンダンスやりたい! 自分表現したい! 思いっきり!」
モダンを踊ることはある意味、クラシックで高難度の技を決めるよりも難儀なのである。
「自分表現したい!」の「自分」とは、字義どおりの「自分」よりももっと、かたちのない、しかしパワーにあふれる、観る者を圧倒する何かでなくてはならないんだけど……さて。




2014年4月3日木曜日

Il n'y a pas "deux pas" pour la danse.

ドイツでダンス修業中の娘が、市内にある別の学校のオーディションを受けて合格したと伝えてきた。在籍中の学校にちょっと閉塞感を感じていて、他の学校で学ぶ可能性を探っていたんだが、こうした芸能・技能系の学校って一長一短ある。良さそうに見えても費用が高額だったり、ある面では劣っていたりと、なかなかすべてにおいて素晴しい学校ってないものだ。あるにはあるだろうが、そんな学校にはおいそれと入れないわけである。
そんなわけで、手当り次第に資料を取り寄せ、体験レッスンやオープンクラスを受けたりして情報収集していたが、在籍中の学校の校長先生とじっくり話をして、残ることに気持ちが傾いているようである。

日本の教育界に顕著な傾向なんだけど、学ぶということに効率を求めるのは間違いである。あることを学ぶとき、学びかたも学ぶ早さも学ぶ深さも十人十色千差万別。もちろん、学校という場所は集団で学ぶので、教える側がひとりひとりに個別対応するわけにはいかない。だから教科書とかドリルとかを用いるのだ。共通の道具を使うことである程度習熟度を測ることができる。ただ、これは教える側の論理である。教える側は「効率よく」全員にマスターさせたいし、教えた成果を「効率よく」実感したい、明文化したい。その気持ちはわかるけど、その「効率よく」進めることを学ぶ側に押しつけてはいけない。「聴き流すだけで英語をマスターできる」CDで、ほんとに「マスター」できた人がどれほど居るのか知らないが、「学ぶ」とはそういうことではない。もし英語を読み書きでき、流暢に話すことができるようになりたいのなら、私ならまず範とする場所を英国か米国か決めて(だって言葉が違うからね)、そしてその場所における生活文化や歴史、美徳とされていることなどを知ることも、語学のレッスンと同時並行で進める。言語は人間が使うものだから人間の営みを知らずしてその言語を知ることなんかできないのだ。

でも、これは私の方法。他者にはベストなやりかたではない。何かを習得するための方法は、ひととおりではない。ないが、はっきり言えるのは近道もないということだ。たくさんの道があって、辿る道はそれぞれ異なっても、絶対に通らなければその先は望めない、そんな関所が、なんにでもある。

ダンスの場合、体づくりと基本の姿勢、動きを完全に自分のものにするためには、クラシックのメソッドが必須といわれる。そのメソッドも幾とおりもあるらしいので、どれがいいとかよくないとかまた諸説あるわけだが、とりあえず、ヨーロッパで誕生して世界各地で発展しているダンス・クラシック。これにおけるバーレッスンは基礎中の基礎だ。このバーレッスンを満足にこなせなければその先はないのである。

で、娘の場合。彼女が将来表現者として踊るジャンルがクラシックであろうとジャズであろうとコンテンポラリーであろうと、今、毎日毎日、言葉は悪いがアホの一つ覚えみたいに繰り返しているバーレッスンにおいて、未熟なうちは次のステップに進むべきではない。
いま在籍している学校の先生から「あなたはまだ十分に学んでいない」といわれたのである。まだまだクラシックの基礎を徹底的に訓練しなければ、どのようなジャンルのダンスであろうと踊れないと。

早い話が、まだそんなに下手っぴなのに何言うてんの、まだまだ発展途上なのよアンタは、これからもびしびし教えるからまず全部こなしなさい、それからほかの学校行くとかヌカシなさい。ということである。

なんにしろ、合格通知は嬉しいものだ。
自分の実力を測るにはいい経験になったであろう。
でも、謙虚に。足りないものがまだいっぱいある。貪欲に。何もかも吸収できる時期は、そう長くないんだから。





2014年4月2日水曜日

Les petits rats

13年前の春、私の娘は近所のバレエ教室の幼児クラスに通い始めた。土曜日の夕方、週1回。当時私は定休日のない生活だったので、娘は土曜日も朝から晩まで保育園にいたが、土曜日だけは私の母が夕方早めに園まで迎えに行き、一緒に教室まで歩いて行った。保育園もバレエ教室も、ふつうの大人なら徒歩で15分以内だが、幼児と高齢者のコンビにはけっこうな距離だった(今から思えば、私の母にはとてもよい運動であった)。

半年後、秋の発表会というのが行われ、娘は初めて「舞台」に立った。
それまでは、舞台といえば保育園のお遊戯会だった。
バレエ教室の舞台は、練習量も衣装もお遊戯会とは桁違いだったが、舞台上で展開される「パフォーマンス」(笑)は似たようなもんだった。つまり、教えるほうも教わるほうも一生懸命、客席には父ちゃん母ちゃんじいちゃんばあちゃんがぎっしり、上手やったわあ、よう頑張ったねと褒めてもらうために、すべてのエネルギーを一点集中させるのである。その結実としての「パフォーマンス」は、技や見た目の美は不問であり、ただ演技をする本人がその舞台を楽しみ全力で披露しているかどうかだけなのだ、問題は。

我が娘はこのときから喝采を浴びる快感を覚えた。
この快感を途切れなく得るために、現在に至る。