2014年5月23日金曜日

Les petits rats 5


バレエを習わせ始めて1年くらい経った頃、私は早くも挫折しそうになっていた。仕事がうまくいっていなかったこともある(会社は事務所を畳むわ、ボスは後片づけを放棄して帰国するわでほんまにもうっ……という状態だった)けれども、それよりもこの環境でいつまで正気を保てるだろうかと(笑)かなり自信がなかった。「この環境」というのはいわずもがな、バレエ教室に通う子どもは裕福な家庭が多数派であるということであり、(えせ)セレブな奥様たちの天国状態、という環境のことである。
奥様たちとは価値観も異なれば話も合わないが、不幸中の幸いは多数派の中に「お下品な人たち」があまりいなかったことだ。経済的な豊かさと品格は比例しないし、現代日本ではほとんど関係ない。したがって「この環境」の中でも、ときたまとんでもない人に遭遇する。しかし、娘が所属していたクラスの場合に限るのかもしれないが、とんでもない人々は早々に去った。セレブも苦手だが、お下品はもっと苦手だ。なぜなら、ふと気を緩めるとそっちへ引っぱられてしまう自分を、否定できないから。人間というものは転落するほうが簡単なのである。

幸い多発しなかった「お下品な人たち」はさておく。
そんなわけで、裕福な多数派に混じって、出てくる話題に内心びっくり仰天しながらも(笑)会話を成立させる健気なワタクシ。適当に相槌打って、おほほと笑っていればやり過ごせる。とはいえ、なかなか、いつまでたっても慣れないのであった。1年に2回、発表会があるけれども、本番が迫ってくると土日には通し稽古が入れられ、親も子も休日返上となる。子どももたいへんだが、我が子がちゃんとしてるかどうか気が気でない保護者たちは長時間レッスンを見学したり、終了時刻に迎えに来ても練習が長引いて延々と待機したりする。こういう時間の潰しかたに、私は慣れずにいたのである。こうした時間を「多数派」たちとおしゃべりをして過ごす……。これでも繊細なワタクシは(笑)、かなり絶望的な思いにとらわれていた。かくして、2年目の秋の発表会は出演を辞退することにしたのだった。

娘が小学校に上がってすぐ、私は前述したように仕事を失くした。正直、いろいろなことで疲弊しきっていた。現況から脱出したかった。アタマを干しココロの洗濯。もちろん、そんなふうには言わず、夏休みはフランスヘ行こうよ、長く休みをとれるのはめったにない機会だから、と言った。娘は旅行が好きだから、わーいと喜んだ。

6月ごろから、9月の発表会に向けた練習が始まり、7月になると本格化するが、出演しない子どもたちは臨時クラスが設けられ、年齢を問わずレッスンはその時間帯に一本化される。ほうり込まれる感じだ。出演しない子でレッスンに来る子というのはとても数が少ないので、意外ときめ細かくレッスンされてよいのだが、疎外感は否めない。

9月の秋の発表会は、私たち母娘は客席で観覧した。たいへん楽しく舞台を鑑賞できた。しかし娘ははっきりと言った。「来年は、ぜったい出る」

発表会を休むことが、自分にこれほど大きな喪失感をもたらすとは! ……と、思ったかどうかはわからないが、一度発表会を休んだことで却って舞台への執着心を喚起してしまった。発表会に出なかったのは、あとにも先にもこの小学1年生の秋だけである。そっか、来年は出るってか……出たいのか、やっぱし。私は、あわよくば「発表会、1年に1回出られたらええわ」と言わせようと思っていたが裏目に出てしまいましたの巻、となったのだった。まじめにしっかりお稽古せなあかんよ、お稽古中お友達とふざけたりしたらあかんよ、と、けっしてふざけることなく真面目に練習している娘に向かって、大きなお世話の念を押した。

秋が深まると、翌春3月に行われる春の発表会の配役が決まる。小学校低学年までは群舞しかあたらないが、それでもどのパートを踊らせてもらえるのか、子どもたちはワクワクして配役の発表を待つ。クラスごとに受け持つパートが決まると、振り付けが始まる。
我が娘は水を得た魚のように、以前にもまして喜び勇んでレッスンに向かうようになった。低学年クラスは1年生から3年生までが一緒に練習する。最初のうちはとても大きく感じられた3年生のお姉さん生徒たちだったが、小さいなりに、先輩の得手不得手が見えてくるようになる。「Bちゃんはぴたっと止まれへんからいつも注意されたはる」「Cちゃんは足上げた時膝が伸びてきれい」

一度だけ、恐れ多いことに、先輩に「意見」したことがあったそうだ(笑)。
腕、もうちょっと上と違う?みたいな、ちょっとしたことだったらしいけど、その3年生は「アンタに言われたない」と言い返したそうだ。おおこわ(笑)
娘は、言い返されたことを気に病む様子はまるでなく、先輩のその癖を「直したらすごくきれいやのに。そしたらみんなとも揃うのに」と案じてみせる。君、余裕だな(笑)。しかし人のことより、自分のことは大丈夫か。そんな親の心配をよそに、どこ吹く風でレッスンを満喫する我が娘。ほんとうに、楽しそうである。

そろそろ「オンナ」が顔を出す小学生。ちょっぴり火花を散らしながらの練習を彼女たちなりに懸命にこなし、総勢約40人の低学年2クラスによる妖精たちの踊りは、なかなかに迫力があった。いや、親バカですけどね。どの子も上手に見える振り付け、配列には無理がなく必要十分で、よく考えてあるなあと前年同様感心した。

最初に書いたように、発表会があると保護者どうしのコミュニケーションが活発になるのだが(笑)、私はもう腹をくくった。
こんなんたいしたことちゃうわ、と開き直ることができたのは、バレエ教室に向かう娘のまなざしになんともいえない真剣さが見えたからだ。もちろんまだまだ頼りなげだが、その瞳には充実を実感する者だけが見せる輝きがあった。その真剣さがほんとうにホンモノとなって結実するかどうかなんてわからなかったし、問題はそのことではなかった。そうではなくて、私の都合で娘の好奇心や向上心を左右したり遮断したりすることは論外なのだ。私は改めて肝に命じた。えせセレブ奥様なんかこわくないわよ。有閑マダムトークがなんぼのもんじゃい。というわけでイバラの道は続いたのであった(笑)。

2014年5月11日日曜日

Les chaussures? Non, les pierres!

『靴に恋して』というスペインの映画を観た。図書館でDVDを借りたのだ。

ここ数か月、まめに近所のレンタル屋に通っていたのだが、そこで扱っている映画(ドラマ)の種類は90%が次の3種類。邦画、ハリウッド、韓流。
だからフランス映画もスペイン映画も借り尽くした。上質の英国もの、イラン映画、フィンランドのアキ・カウリスマキ監督作品、そういう「これ」っつうDVDは全部、借りて観てしまった。「お客様、こちら以前にもお借りですけど間違いなかったですか」なんて、パソコン画面の貸し出し履歴を見た店員がご親切にも確認してくれる。ええ、ええ、知ってるよ2回目よ、好きなのよお気に入りなのよその映画、それにアンタんとこ、ほかに借りたいもんないからさ、いいのよそれ借りるのよ。もっとヨーロッパのもん置いてよね。
というわけで、そうだ、図書館という手があった、しかも無料ではないか! と私はいさんで本だけでなくDVDをも図書館で借りる悦びを覚えてしまって、ちょっとヤバいのである。いや、だって、仕事がおろそかになっちゃいますもの。本とDVD、そんなに積み上げてどうするんだ私!

それはともかく、『靴に恋して』の主人公たちは「扁平足のアデラ」とか「外反母趾のマリカルメン」とか書いてあったので、そして原題の『Piedras』って、仏語で足を意味する「pied」と似ているから私はてっきり「靴」と「足」の話だと思って借りたのだ。そしたら全然違いました(笑)。

ここでこの映画の話をするのは趣旨と異なり、またこの映画の話が話だけに収拾つかなくなるので、ご興味のある向きは「靴に恋して」で検索をかけてもらい、たんまり出てくる映画評や感想の数々を参照されたい。

それにしてもほんとに、全然違ったんだぞ。「靴に恋して」なんつう邦題は詐欺だぞ。主人公の女たち、誰も靴なんかに恋していないぞ!!!
原題の『Piedras』の意味は「石」だそうだ。石だってえ?!



前回足の話を書いたけれども、スポーツや武道、舞踊など体を動かす者にとって足の痛みはつきものだ。だからフットケアはすごく重要。有森裕子さんがあるマラソン大会の解説をしている時に、「痛みがあると、ふつう、走れません」と断言していた。本番に痛みを持ち越すことはプレイヤーとして愚の骨頂、そして致命傷。だから、治して万全を期すことが理想だ。だけど、治らないことがよくある。こういうとき、治らないから本番を諦めるか、無理矢理、痛みを取り除くか。
私は「治す」のを優先させたい。それが成長中の子どもだったら、なおさらではないか。痛みに耐えてプレイする、そのこと自体は美しいかもしれないが、その後何年も痛みがあとをひく危険性があるのだ。いや、必ずそうなる。私がそれを経験済みだから、今なお若い時の古傷の痛みに悩まされる中高年となっちゃったから、そんな目に遭わせたくないとの思いから、いまの怪我はいま治す、いまの痛みはいま癒す、ことを徹底したいと思った。思ったんだけど……。

校庭でバスケットボールをして遊んでいて、友達と足が絡まって捻挫して転んだ。娘は5年生だった。学校近くの整形外科でレントゲンを撮り、湿布をされ、足首サポーターをはめられた。サポーターは簡易ギプスとでもいおうか、がっちりと足を包んでサポートするものだが、付け外しがとても簡単だ。自分が捻挫や骨折でたいそうな思いをした記憶が甦り、私は隔世の感を覚えた。便利になったねえ。いや、しかし、それどころではなかった。娘は約1週間後にバレエの発表会を控えていたのだった。初めて「名前のある役」をもらって、一緒に踊る仲間たちとも息ピッタリ、仕上がりも上々でほんとうに楽しみにしていたのだった。捻挫そのものは重症でもなかった。しかし、事情を打ち明けた時、医師は渋い顔をした。「ぎりぎり、踊れんこともないやろけど……」。たぶん、ハイティーン以上の大人なら対処できる程度の怪我だったと思われるが、娘はなんといっても5年生だった。「ほんまはやめとけ、て言いたいけどな」とカルテを見ながらつぶやいた医師は、娘の顔を見て「出たいやろ」と微笑んだ。娘は涙でぐしょぐしょになった顔でうなずいた。

痛みが後々残るようなことにはしたくないんですけど、と私が言うと、まず4日間は絶対安静です、歩いてもいけません、とびしっと言ってから医師は、その時点での足の状態によっては徐々に動かせる、どう動かすかは足を見て指示するからと娘と私の顔を交互に見ながらつけ加えた。「回復が思わしくなかったら本人は辛いでしょうが諦めさせましょう。そやからな、おとなしくしてんにゃで」

しかし、事はそうシンプルではないのであった。4日間の安静ののち、仮にダメ出しされたとして、では舞台はどうする? どのみち代役を立てる時間はないが、まったく舞台に出られないのと、満足にステップ踏めなくてもとにかくその場に居て場面を維持することができるのと、どちらがいいのか。
ポワントで立てず、ステップも踏めなくてただ人数合わせのためだけにそこにいても、事情のわからない観客にはヘタクソがちょろちょろしてるようにしか見えないはずだ。だったら一人欠けた状態でしのぐほうがマシじゃないのか。
4日間の安静ののち、順調に回復しているとしても、さらにその4日後の本番の舞台でベストに持っていくなんてこと、できるのか。そんな、百戦錬磨のアスリートや数多の苦難を乗り越えてきたプロダンサーじゃあるまいし。
まして、中途半端な回復期に、若干痛みがマシだからとはりきって踊って、捻挫が悪化するとかあとになって痛みや腫れがぶり返したとか、そんな事態が待っていないと誰が保証するのか。医師だって、そんな保証はできないではないか。
ここは、娘は嘆き悲しみ、バレエ教室は大騒ぎになるだろうけれども、涙をのんで出演を諦めるのが将来のためにもいい決断のはず。そう思って「悔しいし、悲しいけど、今回は出るの辞めようよ」と言ってみたが、「あり得ない」と一蹴された、娘に。

この時の自分の対応は、私にとって一生悔やんでも悔やみきれない大きな禍根となった。ひっぱたいても、舞台を諦めさせ、治療に専念させるべきだったのだ。

怪我をした日を含めて丸3日、娘は痛みとそれにともなう恐怖(発表会に出られないかもしれない、という恐怖)に泣き続けた。捻挫をすると、ずきずきと患部が疼く。内服薬でいくぶん緩和されるが、効き目が途切れるとまた痛み出す。けっきょくは日にち薬でしかないから、あるていどの間はどうしても痛み続ける。変な風邪や腹痛で熱を出したり嘔吐したりといった経験はあったが、このたびのような怪我には初めて遭遇したといっていいから、足首に悪魔が取り憑いたとでもいわんばかりに恐れおののいて泣いていたのだった。いや、しかし、あんまり泣かれると、もしや捻挫の痛み以外に何かあるのかと心配になるではないか。どう痛いの、どこが痛いの、痛みが強まってるの、と尋ねるも、ふぇんふぇんいたいいたいと赤子のようにぐずるばかりなのだった。

どう痛いのかちゃんと言葉で説明できなければ、誰もその怪我は治せない。そしてどう痛いのかを知るのは自分だけなのだ。

娘はなにがなんでも発表会には出ると言った。辞退なんてあり得ない、痛くても出る、お医者さんはギリギリ間に合うって言わはった、どうしてもナポリの踊り、踊りたい!……。だったら、足のどの部分がどんなふうに痛むのか、今度お医者さんに行ったらちゃんと言えるように、よく足の声を聴かなあかん! でないとなんぼ間に合うて言うたはってもやっぱり無理やって言わはるで!

しかし、こう言いきかせながらも私は、ああこれでおそらく無理矢理舞台に立つことになってしまうであろうと、翌日以降の展開が見えてしまった。そして、たぶんまた忘れた頃に、今度は怪我をしなくても足に痛みを覚える日がくるのだ。

これまでずっと、我が子の足が健やかに育つように「全力で取り組んだ」つもりだったのに、けっきょくは「奏効しなかった」といっていい。

4日後、嘘のように痛みがひき、娘は足をかばいながらも登校を再開し、バレエ教室のリハーサルも見学に行った。たしかに痛みはひいているようだった。娘の足の使いかたでよくわかった。若いから回復が早いと、再診のとき、医師は言った。「うまいこといくかもしれんな」と娘の顔を見て、ふたりしてにっこり。私は複雑だった。いいのか、これで。いや、よくはない。感情はぐるぐると空回りを続けたが、空回りしか、しなかった。

娘は無事に舞台を終え、怪我に負けなかったこととか直前のリハ不足をものともしなかったとかなんとかかんとかとたくさんの褒め言葉をいただいて、ご満悦であった。私も、正直、一度はほっと胸を撫でおろし、これでよかったと思うようにしよう、と気持ちを片づけたのだった。

だが、6年生になって陸上の練習が本格化する。それとともに、捻挫の患部だけでなくさまざまな場所に痛みを生ずるようになってきていた。痛みは、ベストパフォーマンスの妨げになる。それはどんなジャンルでも同じ。痛みに襲われ、レースの後半で失速した試合。痛みが拭えず、できるはずのステップが踏めなかった舞台。娘はつねに痛みと戦わなければならなくなった。時には勝ち、時には負ける。いずれにしてもつねに戦っているのだ。その始まりはあの捻挫だった。この怪我を完治させなかったのは私の優柔不断だ。

6か月検診で内翻足(内反足)と診断されて以来、片時も気を許さず娘の足を見つめ続けて、歩くようになってからは靴にこだわり、最良の靴を与え、草履を履かせてみたり、足にいいとされることはなんでもトライさせた。幸い内翻足は自然に矯正されたようだった。万事、うまくいっていたはずだった。
それが……豈図らんや。



スペイン映画『靴に恋して』の原題である「石」に込められた意味は、人生にはまずその人の根幹となる大きな石がどすんと置かれることが必要だ、ということだそうだ。大きな器にまず大きな石を入れる。器を隙間なく満たすには、大きな石を入れたあとは細かい砂や水を入れるしかないが、人生もそういうものだということらしい。『靴に恋して』の主人公たちは、その大きな石を得ていないから不運に振り回されている。けれどもやがて……という話なのだ。

あの怪我を完治させなかったことで、「石」を置かないまま中途半端に人生を歩かせていないか。いっぽう、痛みと戦い続けてきたせいで、娘はちょっとやそっとのことでは挫けない根性を身につけたともいえるから、そのこと自体を「石」と考えるか。
全然「靴」に「恋して」なんかいない映画の真意を理解して、ますます「靴」と「足」についてのあれこれを思い出して自己嫌悪に陥るのであった。
娘よ、私のことはほっといて大きく羽ばたいてくれ。

2014年5月4日日曜日

Les pieds...!

近所に、古い小学校校舎を改修したギャラリー&ホールがある。少子化のあおりを受けて多くの小学校が廃校になったが、このホールのように校舎のレトロな雰囲気を生かして改修・再利用するケースがほとんどだ。壊して真新しい建物にする場合も、ファサードは残すとか、校庭部分は残して地域のレクレーションの場にするとか、活用に苦心する様子は見受けられるもののなんとかさまざまに利用されている。

このホールはふだん芸術センターと呼ばれていて、著名なアーチストの公演や個展のほか、子どもたちの絵画や書道の作品展、学生の発表の場、伝統芸能の体験教室など多彩に活用されていて、廃校再利用としては成功例に入るだろう。私も娘もよく足を運び、音楽会、人形劇、コンテンポラリーダンス、狂言、落語などを鑑賞したり、絵画など美術作品の鑑賞にも行ったし、娘がうんと小さい頃は、図画工作の実習はもちろん、能楽の小鼓の体験学習も受けた。大人向けに、和室で茶道教室や校庭でテニススクールも開催されていると聞く。

2月、ここを会場に、フィンランドの振付家&彼のカンパニーが京都の実験ダンス集団と協力してダンスの上演を行った。フィンランドと書いたがアイスランドだったかも、ノルウェーだったかも、いや違うかもしれん……北欧には違いないけど、忘れた。
ダンスというよりはボディパフォーマンス。実は私はそういうものが大好きである。若い頃は、アングラ劇団やマイナーなミュージシャン、不思議な実験映像や身体表現を追いかけて、怪しげな掘建て小屋や廃墟ビルや空き地に建てたテントなどへ足を運んだ。何年もそういったものから遠ざかっていたけれど、できるだけ時間を確保して少しずつ好きなものへのアクセスを増やしていきたいと、切に思う今日この頃であったのである。芸術センターの公演はたいていリーズナブルなので、つねづね情報に目を光らせていたところ、件のコラボ企画が目に留まった。その北欧の振付家もカンパニーも知らなかったが京都のほうはコンテンポラリーでは名の知れた集団だったので、迷わず行くことにした。そう決めると、久しぶりに心躍った。

昔の校舎の講堂を生かしたスペースをそのまま平らに使って、白いテープでパフォーマンスエリアを区切り、その外側に、エリアを囲むように観客がぺたりと座る。ダンサーたちは白いテープのそこかしこからおもむろに歩き出したり走り出したり這い出したりして動き始める。いきなり、そのへんにいる人たちが立ち上がって、すっと動き始める。

ポーズ(休憩)を挟まずに、次々と身体表現が繰り広げられる。音楽は北欧の彼らと行動をともにしているオランダ人のミュージシャンが 隅っこに陣取り、ギターを弾いたりパソコンで電子音を出したりしている。ダンサーの動きを見ながら操作している、あるいは、好き勝手に音を出している。音に合わせて踊って(動いて)いるというよりも、あっちで鳴っている音と、こっちの人々の動きがたまたま出会ってシンクロしているといえばいいのか。見よう、聞きようによっては、緻密に計算され尽くしたパフォーマンスであるとも思える。
2時間余、たっぷり「カラダが創り出す空間」を堪能した。表現者たちはラフなシャツとパンツ、あるいはタンクトップやTシャツといういでたちで、色もバラバラ、何ひとつ統一された記号的要素はないのに、不思議な一体感を醸し出したボディパフォーマンスだった。
面白かった。芸術として、舞踊作品として非常に面白かったと言っていいのだが、専門的な批評眼をもたないので、私自身が受けた感銘をあまりうまく書き表わせないのが残念だ。

なにより、衝撃的なほどに感動したのが、彼らの「足」だ。
過去に何度もコンテンポラリーは観ているが、こんなに間近に裸足で踊る人の足を見たことはなかったかもしれない。昔、舞台にかぶりつきで鑑賞した覚えもあるが、たぶんその頃は「足」に関心がなかったのだろう。今回、私はダンサーたちの「足」ばかり見ていた。彼らの足は実に大きく、カッとゆびが開かれ、土踏まずはえぐられたように高く深く、中の関節がくるくる回るのが透けて見えるかのようなくるぶしをもっていた。ゆびも甲も土踏まずも「もの」を言う。足は高く振り上げられたり床を滑ったり、パートナーの脚や背の上を這ったりする。ダンサー自身の頭、体とは別の生き物が脚の先に付いているようにすら見える、「足」。
なんと力強い足だろうか。
男性も女性も、足による表現は、例外なく素晴しかった。
クラシックにおいても、ポワントを履いた足はその足首、甲、ふくらはぎでさまざまな感情表現をする。高度な技術と丹念に鍛え上げられた筋肉が備わってなければ、観客を魅了する表現はできない。
方法は違えど、裸足で踊るコンテンポラリーも同様である。
「足」は、最も重要なボディパーツかもしれない、ダンサーにとって。

思えば、娘は陸上競技者でもあったので、つねに足の痛みに泣かされてきた。
クラシックバレエと陸上競技とでは、筋肉の使いかたが異なるので鍛えかたも異なる。それは異なる方法で両方使えるようにそれぞれ鍛えればいいんでしょうといわれそうだが、人間の体は、ふつうの人間の場合だが、そんなに器用には働かないのだ。バレエと陸上、それぞれにとって不要な鍛えかたをしてしまうことが徒になり、鍛えてしまった結果本来使うべきでない筋肉をつい使ってそれぞれのパフォーマンス(踊るor走る)を行うと、無理が生じて痛みを発生するのである。

大腿部やふくらはぎの鍛えられかたの割に、娘の足は、土踏まずの筋肉が弱かった。そのため甲に痛みが生じた。リスフランとかなんとかいう傷病名だったり、筋膜がどうこういわれたり、外反母趾の症状もあり、骨折したり断裂したりはなかったけれども足の痛みのために踊れず走れずという日々が続く、といったことも経験した。舞台前のリハーサルで痛みが取れないと、ようやくこなせてきた難しい振り付けをけっきょくは平易なものに変更されたりする。陸上競技の試合や記録会前あるいは当日に痛むと当然ながらそれが記録に現れる。舞台も試合も、どちらも当日の本番一発勝負だから、痛みのせいで不本意に終わると大きな悔いを残す。
「まず休む。十分に休息を取ったら、土踏まずと足指の筋肉を鍛えるトレーニングを集中して行う。走るのも踊るのもそれからあと」
かかりつけの整形外科医が娘を診るたびに言った言葉だ。しかし、娘はバレエを休んだ時は走っていたし、部活を休む時は舞台のリハでびっしりだった。
娘の足はつねに悲鳴を上げていた。もっと足の声を聴け。もちろん、足だけではない、背中も腰も、つねに体はモノを言っている。その声を聴けるのは体の持ち主だけだよ。よく聴いて体の奥の変化を自分で感じ取らないと、ほかの人にはけっしてわからないのだから。10歳頃から娘は母親にそんなことを言われ続けてきた。
小学校で初めて足を捻挫したときに、わーわー、めそめそ、娘は泣いてばかりいた。途方に暮れて私は「泣いてても何がどうなんか、わからんっ」と一喝し、君の痛みは君にしか聴こえない体の悲鳴なのだということを、こんこんと言って聞かせた。

娘は、私の前では足の痛みを理由に泣かなくなった。しかし、浴室で、布団の中で声を押し殺して泣いていたことがよくあった。痛みが引かないまま本番を迎えざるをえなくて、やはり結果が芳しくなかった時は、その晩、こっそりと泣いていた。

例のダンス公演の感想を、娘にメールした。
「足がすごかったぞ。やっぱし、ダンスは足やで!」
返信が来た。
「足ね、足。らじゃー」
わかっているんだかなんなんだか。





足のケアは、何をするにせよ、重要だ。
老親の晩年を見ても、足が弱って歩けなくなることが活力を低下させてしまうのは明らかだ。
実は私自身、高校生の頃からスポーツが原因で足は故障ばかりしていた。きちんと治療せずに放置した結果、体は痛みのデパートと化している。親たちのような晩年を迎えないためにはどうしたらいいか真剣に考えなくてはならないが、自分のことを考えなくてはいけない時期というのは、たいてい子どものことがより重要であったりするのだ。
娘に書くメールの末尾には必ず足のケア忘れるなと書き添える。いたわって、よくマッサージして、ほぐして……etc.
「足」は脚の先に生息している「生き物」だからな。